特  集 “信じて古を好む”
~環日本海交流を支えてきた先人たち~

                    センター貿易投資アドバイザー 
                     北陸AJEC 理事   
野村 允

 将来、環日本海地域は、世界的に見て大いに発展可能性のある地域として期待されている。 来るべき“環日本海時代”に対応するため、対岸諸国との交流促進を目指した「環日本海交流圏構想」 と、その日本海側の窓口となり、新しい日本国土の動脈とも呼ばれる「日本海国土軸構想」が、 今、北陸地域を中心に強力に推進されている。  北陸地域は、「日本海国土軸」 を含む四つの国土軸による多軸型国土構造の構築が織り込まれた「新全総」の中では、 環日本海交流の核たる広域国際交流圏域を形成する地域として位置づけられている。 換言すれば、北陸地域にとって永年の願望であった太平洋側との経済格差の是正を 環日本交流の促進を求めているともいえよう。  ただ、この主張は、今新たに出現し たものではなく、約一世紀にわたり、私たちの先人たちが強く提唱し続け、その実現に 向けて多くの貴重な足跡を残してきたことも忘れてはならない。

1.経済格差の問題

 明治7年(1952年)の府県物産表によれば、北陸地域は6%経済 であった。ほぼ、一世紀半の間に、北陸地域の経済力が半減したことになる。
 これまで、 太平洋側と日本海側との経済格差は「表日本」、「裏日本」という言葉で表現されてきた。 この言葉が単なる自然地理上の格差ではなく経済格差を意味するものとして使われ始めたのは、 明治34年(1902年)発行の地理書「地理学小品」(民友社)だといわれている。以後、明治、 大正、昭和の長きにわたって、私たちは経済格差の存在、さらに格差の拡大を心ならずも認め てきた。漸く、1970年代に入って、「裏日本」という言葉のみが消えた。


2.経済格差と環日本海交流

 太平洋側と日本海側との経済格差是正を環日本海交流に求める主張が北陸で初 めて登場したのは、明治13年(1880年)海内果の「越中伏木港の形勢」であろう。当時、国際 貿易港が太平洋側に集中していた事態を憂え、対岸貿易の担い手として伏木港(現在の伏木富 山港伏木地区)を国際貿易港に指定する必要性を提唱したものである。
 以後、明治時代には、 松波仁一郎の「日本海に対する邦人の活動」(1907年)、大正時代には久米邦武の「裏日本」 (1915年)松尾小三郎の「孤島的自覚 日本海中心論」(1922年)などがある。中でも、 松尾小三郎の「日本海中心論」は、日本海側の劣性挽回のため対岸諸国との共生を強く主張 している。
 戦後、高度成長期の下、ますます太平洋側との経済格差が拡大する中で、日本 海側では対岸諸国との交流促進の気運が盛り上ってきた。すなわち、昭和30年代初めころは、 対ロ、対中貿易の促進が中心であったが、今日の「環日本海交流圏構想」の萌芽は昭和30年代 後半から40年代初めにかけて見られた。例えば、中薗英助の「日本海時代」(1964年)では、 対岸諸国との交流促進のため日本海沿岸諸県が連携することの必要性を論じ、 また福島正光の「日本海経済圏の提唱」(1968年)では、当時閉ざされていた日本海を 平和の海として活用すべきことを主唱している。そのほか、新潟日報編「あすの日本海」 (1971年)、毎日新聞社編「日本海時代」(1973年)などがあげられる。


3.環日本海交流の具体的行動

 (1) 留学生の派遣など
 明治44年(1911年)、石川県は県費によって 金沢市内の中学校卒業者3名(嶋野三郎 宮崎正義 西本勇三郎)をロシアへ留学させた。 また、大正時代には、敦賀商業学校ロシア語部の生徒が語学研修のため、夏休みを利用して ウラジオストクでホームスティを行った。
 因みに、明治35年(1902年)に、ウラジオスト クの東洋学院(現在の極東総合大学)日本語科の 学生ヴァスケーヴィチが、敦賀から入国して 福井、石川、富山、新潟を訪問し、この旅の模様を「日 本旅行誌 敦賀港から新潟港まで」 でまとめている。

 (2) 企業の海外進出
 富山県の売薬商人は、明治22年(1889年)に朝 鮮半島へ出向いたという記録があるが、以後売薬の輸出増加とともに、中国、朝鮮半島、ロ シア沿岸地方などへ広く展開した。
 昭和16年(1941年)、金沢市の宮市大丸百貨店(現在 の大和百貨店)が、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の清津に店をオープンし、さらに中 国東北地方で製陶工場、農場などをつくった。

 (3) 地方自治体の海外事務所の設置
 昭和7年(1932年)、富山県と貿易関連業などを中心に、「対岸貿易拓殖振興会」を設立し、 事務所を県庁内に置いた。翌年同会の海外事務所を北朝鮮の先鋒(後に羅津へ移転)に設置し、 富山県における中国東北地方、朝鮮半島の情報拠点とした。
 特に、国会設立総会の席上、鈴木富山県知事が、 「対岸貿易を進めるためには、飛越線(現在の高山線)の開通を契機に、 中京圏との連携が必要である」と述べているのは大変興味深い。

 今、変化激しき世界経済の潮流の中で、ふと“信じて古を好む”の心に立ち返るのもよいのではなかろうか。
   「なぜ国家は衰亡するのか」(中西輝政著)の冒頭、著者は本書の目的について 「今日の日本が陥っている状況をより深く掘り下げ、どうしても必要な『日本の再生』のために、 いま、わが国で交わされている多くの論議には欠けているより広く大きな視野、つまり『歴史』と 『文明』という視野からひとつの問題提起をしたい」と述べている。
 これまで、 対岸諸国との交流を進めることによって地域間格差の是正に努めてきた先人たちの足跡を 教訓としながら、北陸地域は、地方の国際化と地域経済の活性化のため今後とも環日本海交流の 拠点化を目指し、着実に歩んでいくことが望まれる。
                                                  以上





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