寺島 実郎
三井物産(株)戦略研究所 所長
1947年生まれ
早稲田大学政治経済学部卒
同大学院政治学研究科修士課程修了
三井物産に入社
ふたつの「Fortune」(ダイヤモンド社)
新経済主義宣言(新潮社)などの著書


 世界中の今この地域は元気だといわれている地域を訪ねる機会が多いのですが、地域が活性化しているという所は、何か共通した要素があるのではないかと考えております。いま元気な地域といわれている地域、これは日本国内でもそうですし、海外でもそうですが、いくつかの共通項があると思っています。
 1つはグローバルな地域連携といいますか、地域間の連携をネットワークを作ってうまく展開していることが、非常に地域を活性化させる要素になっている。例えば欧州ですが、これはEUの経済統合みたいなことが日本でも盛んに報道されますが、そういう中で例えばバルト海を挟んで、国を越えて、ネイションステートを越えて「バルト海都市連合」などと、現代版のハンザ同盟などという言い方をする人もいますが、さまざまな地域の交流が起こって、それがバルト海を取り巻いている地域をものすごく活性化しています。
 さらに北イタリアと南フランス、あるいはスペ インのバルセロナの地域などが連携して、「地中海アーチ」、地中海にアーチをかけるという表現を使ったりしておりますが、やはり国境を越えた地域連携を成功させている所が非常に元気だと。これが1つの要素だろうと思います。日本国内でも、例えば九州などが台湾とか韓国の経済エネルギーを取り込んで大変活力を持っている、というのは皆さんご承知のとおりです。
 2つ目にやはり元気な地域に共通している要素として、地場のアカデミズムとの連携という要素があると思います。よくシリコンバレーとスタンフォード大学の関係ということで、もしスタンフォード大学がなければ、シリコンバレーはあそこまで立ち上がらなかっただろう、ということが言われておりますが、やはり地場にあるアカデミズムと地場の産業がきちっと連携する土俵を作って頑張っている所は元気だ、ということをひしひしと感じます.これが2つ目の要素です。
 3つ目の要素として気づきますのは、やはり参画型、何らかの形で主体的に住民が参画していくような仕組みを持っている所が、やはり活力がある、というのは当たり前の話です。例えば国際交流という分野でも、いわゆる官庁が音頭をとって「国際交流をしようよ」と言っても、やはりそれを支える裾野の広さが大切なわけです。例えばNPOが盛んに日本でも言われ始めておりますが、アメリカなどでは120万団体、1,000万人の人がNPOで活動していると言われています。国際交流という分野も、あるいは留学生の面倒を見るとかという分野でも、NPO型の仕組みがしっかり支えていかないと、うまく稼働しないわけです。こういった3つの条件が、たぶん世界で「この地域は元気だ」と言われている所に共通した要素ではないかと私は思っています。
 次に北東アジアと日本との連携、交流ということを考えてみますと、なぜアジアにEUのような経済統合とか、あるいはより深い交流、連携の議論が生まれないのだろうかと思うわけです。もちろん例えばヨーロッパのような共通の文化圏、キリスト教ならキリスト教といわれるような文化圏が存在しないとか、多様な政治体制が存在していて、「かけ声で交流だとか連携とは言うけれども、そう簡単には進まないよ」という部分があるのはよく分かります。ただ、その中で我々日本人として静かに考えておかなければいけない要素があると思うのです。それは何かというと、歴史を調べてみると非常に面白いのですが、勝海舟が若いころに朝鮮と中国と日本との三国同盟みたいなことを、幕末の段階で、彼の書いたものに残しているのです。
 ところが、日本の近代史の二重性といいますか、自分自身がいつ植民地にされてしまうかもしれない、という恐怖感の中から明治維新をスタートさせて、いつの間にか力をつけるにつれて、欧米の列強模倣、自らもいわゆる植民地帝国主義という方向にずっと傾いていった。これはよく司馬遼太郎さんなどが言っておられた「日本の近代史の二重性」というものなのですが。20世紀が終わろうとしていますが、日本の20世紀というのを静かに振り返ってみて、私は特にアメリカから日本を10年以上見ていたからより感ずるわけですが、日本の20世紀というのは、不思議な表情を持っているのです。
 どういうことかというと、1902年から1921年までの20年間、日本は英国との同盟、日英同盟という仕組みに守られて、日露戦争から第1次世界大戦までユーラシア外交の勝ち組というところでプレーした。比較的成功体験だった。25年間ダッチロールしまして、日本も列強模倣のゲームの中に入っていって、5大国の一翼を占めるという自尊心の中で、ご承知のように海軍軍縮条約、5対3対1.75などという世界にはまり込んでいって、満州国問題で孤立して、「国際連盟よさらば」から真珠湾と嫌な思い出の25年が間に挟まって、1945年からもう20世紀が終わろうとしているこの55年間、米国というアングロサクソン、英国もアングロサクソンだったわけですが、アングロサクソンとの2国間同盟で55年を過ごしてきたわけです。
 ですから日本という国は、ざっくりいって20世紀の100年のうち、実に75年間、4分の3をアングロサクソンとの2国間同盟で生きてきたアジアの国という、不思議な特色を持っているのです。学生たちと話してみて本当に感じるのは、骨の髄までアメリカ化されたアジア人という人たちを、我々は育ててしまっているわけです。つまり、戦後の55年間、日本にとっての外交はイコール対米外交、アメリカと付き合うことを外交だと思ってきた国なのです。
 私が言いたいのは固定観念ということなのです。やわらかい発想を持って、21世紀というものに踏み切っていかなければいけない。もちろん、アメリカとの関係はこの国にとって21世紀にも基軸であり続けるべきだと私は思っていますし、アメリカの持っている可能性と魅力というのは、誰よりも分かっているつもりでおりますが、ここはやはり日本人が、20世紀の固定観念というものからどこまで脱皮できるのか。つまり、アメリカという存在が日本人の心の中にトラウマみたいになっているのです。外交でも経済関係でもいわゆる日本というものの基軸をどこにとっていくかということについて、柔かい発想が非常に必要になってくるだろうと私は思います。
 そういう中で、アジアとの連携とか交流という時によく感ずることなのですが、お互いに些細な違いに腹を立てながら、もう一歩連携が深められないような部分をたぶん皆さんも感じているところだと思うのです。私は是非申し上げておかなくてはいけないと思うのは、アメリカという国の底力の中で、我々が認めなければいけないのは、多様性の温存というものなのです。もともと多民族の国で成り立っていますから、やはりアメリカの教育は自分の娘が受けたシステムを見ていても感ずることですが、多様性を温存するというところに非常に特色があります。
 国際化というのは、自分と価値観も文化観も宗教観も違う人間と、1つのパフォーマンスのためにどうやって同じ土俵の上に立っていけるかという忍耐のゲームみたいなものだと自分の経験の中から思っています。そういう意味で均質なものの中だけで、隠語が通ずるような感じで物事を取り進めていくということから一歩踏み込んで、やはり多様性を温存しながら物事を組み立てていくということを勉強していかないとたぶん、国際化などというのは言葉だけで終わってしまうと思うのです。  言葉の上ではグローバル化だとか国際化だとかと言っていますが、実態はもうグローバル化とか国際化というゲームに疲れて「まるドメ派の逆襲」などという言い方、まるでドメスティックといういわゆる国内派の逆襲というような雰囲気にズシンと落ち込んでいるのが、日本の産業界の実態的雰囲気だと思うのです。別の言い方をすれば、本当に正念場なのです。この種の地域交流の議論も含めてどこまで根のある議論なのか、ということが試されているということです。うつろな国際化ゲームではなくて。
 北東アジアとの交流を深めるという中で、やはり大変大きな戦略的構想力が私は問われていると思うわけです。北東アジアで交流を深めていこうというのならば、情報の密度を深めなければならない。例えば地域情報の分析なり、情報の収集・分析、体系化のシステムが一体どこまであるのか、ということを考えた時に地域交流というのは、時々思い出したようにイベントをやっても駄目なのです。
 1つの例をお話ししたいのは、パリのセーヌ川の近くにアラブ世界研究所があります。1973年の石油危機の翌年、74年にフランス政府が構想して、アラブ22カ国に根回しをして、フランスが6割お金を持ち、4割はアラブ22カ国が負担する形でシンクタンクを作ったのです。そこでは地域情報の分析だけではなくて、文化とか、非常に深いものを展示した博物館なども併設している大変大きなシンクタンクです。フランスが、中東政策においてアメリカと一線を画して発言をする時に、情報の基盤、情報の地場というものを持たなければ、こういう国際化された時代の中では、とても思いつきでは発言など出来ないのです。
 フランスという国は、ある種のしたたかさとやはりすごみを見せているわけです。我々が中東とか、石油とか、そういう地域情報のことで何か情報を収集したり、意見を交換しなければいけないというと、パリのアラブ世界研究所に行かざるを得ない、という地合を作ってしまった。そういう意味合いにおいて、非常に息の長い戦略を見事に展開しているという気がするのです。私が申し上げたいのは、北東アジアについても、どこかがやはり基軸になって、この地域の広域の情報密度を深めていくためのシステムの設計、例えばシンクタンクなどの構想というのが問われるべきではないか、というふうに思います。
 経済交流についての戦略的視点ということで申し上げておきたいわけですが、先ほど触れた例えば地場のアカデミズムの技術ベースを活かしたような協力、政治体制を超えて、この地域が共通の悩みであり、共通のテーマとして持っているもの、具体的に言えばエネルギーだとか、食料の需給の安定などについて、ちゃんとしたシステムの設計、戦略的視点が要ると思うのです。
 北東アジアの共通の利害を抽出していくようなプロジェクトの設計、というのが問われているのではないかと思います。
 最後にもう1点申し上げたいのは、やはり交流を深めるということ。こういう情報化の時代ですから、交流を深める時にはインターネットの時代における交流というのはどういうものか。いわゆる情報通信インフラを、この北東アジア地域にどういうものを共通のものとして持つのか、ということが必ず問われてくると思います。衛星の有効活用などということも含めて、共通の情報基盤を作ることを、テーブルの上に乗せていけたら、交流の実が上がるのではないかと思っております。
 




topへ


frontへ