1月17日から21日までの5日間、「伏木富山港ポートセールス事業推進協議会」が実施した上海・厦門視察に参加する機会を得た。両地域への訪問は初めてではあったが、滞在期間が短かったため“馬上看花”(馬上から花見をする)の感じであった。以下、上海・厦門の表情を素描してみた。


                      厦門港
1.港湾事情

(1)上海港の課題
 上海は、中国の4割の経済力を支える、長江水系の河口に位置して、中国最大の呑吐量を誇っている。特に、コンテナ取扱量の伸びは著るしく(図1)、中国全港湾の中で第1位を確保している。因みに、’99年の取扱量は421万TEU(前年比37.6%増)であった。
 しかし、世界のコンテナ船が大型化し、世界のコンテナハブポートに求められる水深が15mの時代を迎える中で、長江口の浅水路(最も水深のあるチャンネルの基準水深が7.2m)の問題は、上海港の最大の泣きどころとなってきた。河口港の宿命と言ってしまえばそれまでであるが、年間5億トンといわれる長江の泥砂沈殿との戦いは「宿敵」ともいうべきハンディキャップとなってきている。さらに、黄浦江の手狭さとバースの大部分が市街地にあるための障害などを抱える上海港は、華東地区の物流を担う国際ハブポートとはいえなくなってきたようである。
 今後の課題は、昨年着工した「長江口深水路プロジェクト」(水深維持には、浚渫作業と導流堤工法の両面作戦を実施する)の成功如何にかかっているといえよう。
 今回訪問した上海港務局毛国華副処長からは、「将来、スーパーパナマックス船に対応するため、新しい用地として、浦東開発区南東岸先端から35kmの沖に浮かぶ2つの小島(小洋山、大洋山)に新バースを建設する計画である」とのコメントがあった。

(2)厦門港の課題
 厦門港は、福建省沿海の2大商業港のひとつであり、福建省、広東省北、江西省南、浙江省西南の物流の中継港であり、厦門・泉州地区の海外華僑の出入港であり、そして台湾南部との海上輸送ルートの窓口となっている。
 厦門港のコンテナ取扱量は、逐年好伸しており、’99年の取扱量は85万TEUで中国全港湾中第6位である。なお、コンテナ取扱量の2割は、石材輸出を主体とした日本向けである。
 好調なコンテナ貨物の伸びを背景に、現在、新バースの建設が進められており、2005年までに、バース数は103(現在は80)になる予定である。しかし、長期的な展望に立って見ると、それでもバース不足(既設バースの一部を客船専用バースに転用する計画もあり)が予想され、南部沿海地区に新バースを建設し、外資企業の誘致もはかっていく意向のようである。
 
2.都市の事情

(1)上海市
 北京市の「城壁の街」に対し、上海市は外灘(ワイタン)に代表されるように「開放された街」といえようか。街の雰囲気は北京市とは異なり、緊張感がない。街を走行する公共交通機関は多種多様であり、かつカラフルである。
 街では外国人の姿を多く見かけた。激動と混沌とした歴史を背負い、外国人との接点が多かった上海市は、今なお、異国の息吹きを強く感ずる。現に、上海市には、日本語を話す中国人が20万人おり、日本料理店が200軒を数えるということである。
 レストランのウェイトレスからは、食後テーブルに置いてあるヌードを型取った箸置きをセットで買わないかとすすめられたが、勧誘の態度に嫌味がなかった。上海人の「商売上手」を垣間見たような気がした。

(2)厦門市の表情
 市街には自転車の数が少ない。その理由として、①人口に比しタクシー(小型)が多い ②公共交通機関が発達している ③企業の多くが通勤バスを運行させている-などがあげられている。
 市街では、朝夕、大きな竹箒で街路を清掃している人たちを見た。市の主要建物の壁には、8カ條の「市民文明公約」(例 祖国愛、家庭親睦など)および10カ條の「戸外での禁止行動項目」(例 路上での吐痰、車の騒音、路上での喧嘩など)が掲示されていた。また、一軒の茶館(烏龍茶の製造、販売所)へ案内された所、烏龍茶の入れ方、飲み方などを習いながら、何回も試飲しているうち、説明嬢の美しい姿態と巧みな話術に魅せられたように、訪問団全員が烏龍茶を買ってしまった。
 最近開設した関西空港~厦門航路は、日本人観光ツアー(ゴルフツアーも含め)で人気を集めているということであり、正に厦門市が“海上の花園”と呼ばれている謎が解きほごされたような気がした。
 他方、街には「中国統一」のスローガンが掲げられ、蕭酒な新空港のターミナルには、軍艦や戦闘機の模型が陳列されていた。台湾に最も近い都市、厦門の“もうひとつの顔”を見た。

(3)厦門と北陸
 北陸地域の石材業は、往時、多くの企業が韓国に出向き、原石の直接買付けを行い、自社工場で加工していた。その後、石材業界においても、人件費の上昇、若手石工の不足が生じた。やがて、先進国の仲間入りをした韓国の石材業界にも、同じような状況が生じてきた。
 他方、中国(福建省中心)への日本側の技術指導の成果が出始め、北陸の石材業界も韓国市場から中国市場へのシフトが行われた。近年、中国側の加工技術の向上に伴い、中国からの原石輸入の減少、中国からの製品輸入(建築材、環境材、墓石など)の増大傾向が続いている。
 なお、製品輸入ルートについては、納期、輸送のトータルコストなどが勘案され、太平洋側の港湾(神戸、名古屋、横浜など)へ陸揚げされている。時折、北陸の中国、韓国ルートを利用して、伏木富山港などへ入ることもあるということである。
 今後、北陸企業(特に、墓石を扱う業者)は、生き残り戦略としてオリジナリティのある商品の開発が求められよう。このことは、中国側に数多く存在する石材加工業にとって、これまでの“つくれば売れる”時代から“選別を受ける時代”を迎えることになり、日中企業ともに試練の年を経験することになるであろう。
 厦門市に進出している北陸企業は、縫製、金庫製造など数社ある。そのうち、縫製関連は、厦門市を選別した理由として、①上海市と広東省の中間にあり、人件費の将来を展望した ②台湾華僑資本によってインフラが整備されている ③従来から関係の深かった台湾、香港企業が厦門市との交流が活発である ④住環境が良い-などをあげていた。また、工場責任者として中国人女性を採用しているのが注目された。現在のところ、従業員の定着率以外大きな悩みはないということである。
 今回の短期間の訪問を通じて、特に強く感じたことは以下の諸点である。
①港湾について、上海港の水深問題の去就が注目されるが、ソフト面では今なお、香港のノウハウが他港の追随を許していないようである。
②中国の都市が、新しい活力に満ち満ちている中で、美化、清潔化に着実な努力をしている。
③中国の石材業は、現在、日本のみならず欧米にまで進攻しつつある。
 ともかく、今回の訪問によって、改めて“博く学びて篤く志す”(論語)の言葉を改めて噛しめることが出来たような気がした。


 上海市のシンボル 外灘
 
 


topへ


frontへ